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#1 箸休めの街【光と暗闇の消えた先に】

 何をするでもなく、宵に散ってゆく梅の花を見ていただけの昨日の日記を書き始めるにしても、果たして書きおおせるのかと不安になったほどなのだから、旅の終わりに立った涯(はて)を文章にするにはどれほどの踏ん切りをつければいいのかとよろける。

 旅の涯がどれほど優しく急峻かを書きたくないのではない。むしろ書きたくてたまらない。あの涯の険しさ、安楽に流れる冷気、涯から目にする世界と自己の姿を愛し、その愛に文章という形で生を与えたいと深く強く思っている。ただ涯への愛が胸を捕らえて、どうしてもその愛との間に適切な距離が保てず、その全体像がつかめなくて言葉が出てこないのだ。仮に出てきたとして、その言葉が、涯を喜ばせられるような光り輝く玉へと変成するのか。適切な距離をとるために脇道にそれたほうがいいだろう。

 

 

 正直なところ、新奇さや重厚さがひまもなく押し寄せてきて、目を向ける物事の多さゆえに、旅の最中に疲れを感じていた。店先に並ぶ品物からは新奇さが匂い立ち、星霜を経た遺物からは重厚さが滲みだしていた。街を歩けばタクシーやら何やらの客引き。背負っている荷物の大きさと外見から、その国の人間ではないと分かりそうなのに、現地の言葉で客引きしてくる。人とものが、こっちを見てくれとせわしなく喋りかけてくる。私は辟易していた。

 人々の生活がただ朝から昼、昼から夕へ、夕から夜へと河の流れように過ぎ去っていって、旅人には何ら目をくれることがない街が旅には必要だ。情景や歴史を摂取するのに上げ下げされる箸を置いて、摂ったそれらを自分の血にするために旅人が目を閉じて、そこでは箸を手にしないことを許してくれる鷹揚な街。観光都市は旅人には厳しい。これを見たらその次はこれ、この料理を食べたらあの料理、と見えない指図を送ってくる。異国から来た旅人は、この地のことなど何も分からず困っているだろうから助けようという親切心の発露なのだろうが。

意外と早く文章への踏ん切りがついた気がしてくる。涯の姿を書いてゆこう。

 

Suguru Sugita @wordgazer

 

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