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#4 イスタンブールの暗闇【光と暗闇の消えた先に】

 イスタンブールを旅の終点にしたのには理由がある。何かのガイドブックで見た「東西文明の十字路」という言葉が、半端な知識欲を刺激したから。自文化を相対化すると言って旅に出た身には旅の大団円のためにこれ以上望むべくもない街に思えた。

 理由がもう一つ。そっちのほうが本心に近い。十字路の話をしている時には自分自身に嘘をついている心地になる。十字路云々は表面上の浅い理由かもしれない。「背教者」という、心の中に何か後ろめたさを喚起させる呼称を持つローマ皇帝ユリアヌスが生きた証をイスタンブールで見つけ出したいと思ったのだ。感受性が豊かで、ずっと何かを思索しているような目を持ちながら、現実の重さに辟易することなく帝国の理念を実現しようとしたユリアヌスが今も生きているのだとこの身をもって感じたかった。ユリアヌスに惹かれるようになったのは「背教者ユリアヌス」という歴史小説を読んでから。会社を辞めて、しばらくどこにも属さないことが決まっていた私は、ユリアヌスの生涯にぐいぐいと引っ張り込まれた。感受性を濫費するのではなく、その感受性で世界を救おうとした彼の姿は私の中に濃い影を残している。ユリアヌスが今も生きている姿を感じたかった私は、彼が帝国を動かしていったコンスタンティノープル、今のイスタンブールに行こうと思った。

 エフェスのバス停でイスタンブール行きのバスに乗り込もうとしたその時、朝から小康状態を保っていた、低く垂れこめた雲が、大粒の雨を降らせてきた。待合室の軒先には滝があっというまにできた。ユリアヌスの地にひたひたと近づいていることに顔を神妙にしていた私には、俄かの豪雨さえ吉兆だった。絶え間ない雨に安堵を覚えた。さやかに流れる水では押し流すことができない心の底に沈んだ澱の固まりが流れ出していった。ユリアヌスもエーゲ海で雨に降られたことだろう。雨粒でぬれたまつ毛の下の灰色の目は、このバスの窓から見える、何の変哲もなくうずくまっている丘を見たのだろうか。窓を流れてゆく丘、湖、道路の橋梁のはるか下に見える暗い街は夜の中に沈んでいった。朝11時にエフェスを発ち、その日の夜9時半にイスタンブールの巨大なバスターミナルに着いた。疲れていた僕はターミナルすぐ近くの宿に泊まった。

 次の日は宿を確保してから散策に出た。マルマラ海の波音を聞いた。アヤソフィアのイコンの前に立った。トプカプ宮殿から金角湾を見た。イスタンブール名物・サバサンドを食べた。サバサンドは安くてうまかった。寒さに身を震わせる夜風に吹かれながらのサバサンドは本当にうまかったが、隣で食べている若者、店の前を通り過ぎてゆく無数の人々を見ていたら不意に哀しさに胸が駆られた。僕はユリアヌスの姿を見たくて遥々ここまでやってきた。彼が深い霧の中に見た海を目にした。帝国領内の視察のたびに上っては下っただろう坂を歩いた。彼が愛した帝国を支える人々に潤沢な水を供給した地下の貯水池にただよう水の臭いを鼻腔で記憶した。なのに、なのに、このイスタンブールはユリアヌスの姿を私に感得させてくれないではないか。私がこの文明の十字路に子供じみた願いの実現を託したのが愚かだったのか。私のユリアヌスへの思慕が足りなかったのか。「背教者ユリアヌス」で滔々と流れてゆく言葉の流れに気を取られるあまり、ユリアヌスの精神の淵源にたどり着けなかったからなのか。もしや、そもそもユリアヌス自体が幻影だったのか。もうどうしようもなくなっていた。ペルセポリス、エフェスと歓喜に酔っていた僕を支えていたユリアヌスという糸は切れて、僕は無明の窖に転がり込んでいた。

 行きついた先が牢獄だったならば、まだいいほうだった。牢獄ならば自発的な努力は、娑婆の空気を吸うには要らない。どうしようもなく重い罪でなければ時間が過ぎ去るのを待つだけだ。しかし私が転がり込んだのは窖だった。鉄の格子もなければ、こちらとあちらを隔てる壁もなく、看守もいない。空気とは思えない重くよどんだ古い何かから逃れて、地上のありふれた澄明な空気で息を吹き返すには、暗闇に目を慣らして窖の出口を探り当てなければならない。窖は牢獄とは違って、抜け出そうという意志があれば、這い出すことができる。仮に脱出を放棄すれば、私は自分に、どうにかなったものを自分の臆病さを言い訳にそのままにした人間、という屈辱を与えることになる。その屈辱が耐えられなかった。

 窖に疲れた身を横たえる怠惰にさえ身を任せられなかった私は、一寸先も見えぬ闇に手を突き出した。凹凸のないひんやりとした丸っぽい何かを撫でていた。清らかな泉の水面が静かに凍ったならば味わうことのできる感触はこのようなものなのだろうかと思った。だが、この地下の暗部に流れる水が清冽であるわけがない。そんな水は腐っていなければならない。うずくまっていた私は上体を起こし、膝を立てて臆病に探りの手を上げていった。硬くて丸い何かは上にまだ続いていた。どうしたことか。暗闇の中に身を落として出口の見当もつかぬのに、硬くて丸い何かを触っている私の心は幸福で満ちみちていた。この幸福は前に噛みしめたことのある味だ。彩色は削げ落ち、支えていた天井はとうに崩れ落ちたのに、なお屹立しているペルセポリスに手を恭しく置いたときに味わった幸福だ。幸福を覚えると同時に、不安が胸をよぎる。ユリアヌスが生きている姿を見いだせず、深い悲しみに襲われて、このような境遇に身を置いたいま、いくら過去の人々が生きているのを感じるとはいえ、過ぎ去った時間の遺物でもある遺跡に果たして身を委ねてよいのか。

 不安を拭い去るには、薄々感づきながらも目を向けようとしてこなかった、自分自身のあるものへの軽視に向き合うしかないと思った。僕は人間の生活なぞ取るに足らないと思ってきた。肉体の絶え間ない自然な欲求に縛られ、わがままで、けちで、愚かで、怠惰なあれを蔑んでいた。吹けば飛ぶような人間の生活を軽視してきた。この軽視を生み出している私の歪んだ眼を洗うには、日々の生活の時間が流れている場所に行く必要があった。しかし、四方八方どこを見渡しても日々の生活しかないところでは、傷つきやすい私の感受性は周囲からの間断ない刺激に疲れて、かえって何も感じないのではと恐れた。

 私が居心地の良さを覚え、愛惜してやまない過去の時間を持ちながらも、同時に人々の生活が息づいているような二面性を持つ場所を探した。一つしか思いつかなかった。エルサレム。その名を三度呼んだ。

 

Suguru Sugita @wordgazer

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