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高原都市バギオを訪れて

バギオと出会う

昔から、計画を計画の通りに実行することが心底苦手だった。大学の教務課で意気揚々と休学届を提出し、人生2度目となる海外へ。最初の語学留学はそれなりに満足のいく成績を残して修了したものの、そこから直行したベトナム・ダナンのオフショア開発企業でのインターンでは、理想とのギャップに至極苦戦した。1ヶ月で会社を辞め、逃げるように飛んだ先のバングラデシュでは、イスラム世界の無形の思想に強く魅せられた。しかし、同時期に邦人を狙ったテロが起き、4ヶ月予定していたインターンをわずか2週間ほどで切り上げ、日本に帰国した。

思えばかなり不思議な選択だった。帰国する直前、残り3ヶ月ほどを海外で過ごしたいと思い立ち、再びフィリピンの語学学校を探しているうちに、バギオという都市の存在を知ったのだ。ルソン島北部、マニラから車で6時間ほどの高原都市。海、夏、果実というフィリピンのイメージを覆すような、異彩を放つ街の存在に、強く惹かれた。そして日本に帰国して数週間後、名古屋からマニラ行きの便に乗り、バギオに向かうことになった。

異彩を放つ高原都市

深夜3時のマニラ。バスに飛び乗り、台風で崩壊しかけた道に沿ってルソン島を北上する。首都マニラを出ると、周りには建物がほとんど見当たらなくなり、道沿いの木々の向こうに地平線が広がる。徐々に道の傾斜が出てくると、今度は山を登る曲がり道が続く。バスは徐行し、道幅が狭くなる。高原都市に到着したのは朝10時ごろ。日本でいう長崎のような、街中が凸凹とした、山の間に無理やり作り上げたような街だ。

バギオの街で、パブリックマーケットの言葉にならない独自の世界観とコミュニティとしての存在感に魅了され、留学中の週末はマーケットに入り浸った。巨大な生物のような、捉えどころのない可変的な諸要素の集合体は、常に包含するものを入れ替え、自然や市場の動向に合わせて姿形を柔軟に形作っていた。

本シリーズは、バギオでの留学生活、その後複数回に渡る現地生活を通して、パブリックマーケットの歴史的背景と、それに内在する文化と社会について、エスノグラフィックに描き出す試みである。

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