灼熱のマニラ。ニノイ・アキノ国際空港のゲートを出てタクシーに飛び乗り15分ほど。パサイにあるバスステーションで紙切れのようなチケットを手にしたら、あとはそれを握りしめてバスに飛び乗るだけ。約6時間、サマー・キャピタルへのちょっとした旅が始まる。

ショッピングモールの脇道を抜けたバスは、ナイトライフに熱狂する若者でごった返す大通りを抜け、北へと進む。徐々に街の明かりがなくなり、気がつけば広い草原のような場所に一本まっすぐに伸びる道を走り続ける。標高が高くなっていくのを感じながら、徐々に森の中に入り、また視界が開けたと思えば、すぐに木々の中に入ってしまう。

徐々に遠くに街の明かりが見えてくる。山の斜面にも、家々が隙間なく建ち並び、夜の山を照らす。標高1500メートル、気温20度前後の高原都市は、熱帯のフィリピンにおける「サマー・キャピタル」として、その気候や地理的な要因により、独自の文化とライフスタイルを形作ってきた。

 

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独自の文化が花ひらく避暑地 

1521年、マゼランのセブ上陸以降、フィリピンは長期に渡ってスペインの支配下にあった。転機は1898年、米西戦争に勝利したアメリカ合衆国が、わずか2000万ドルという少額でフィリピンを買い付け、その支配下に置くことになった。1946年のフィリピン独立に至るまで、米国人は高原地帯のバギオを避暑地として好み、その開発を進めていった。その開発工程において、合衆国は日系移民の勤勉さに着目し、劣悪な環境ではあったがその開発業務を委託し、日本とバギオの繋がりが生まれることとなった。現地で結婚して家庭を持った日本人も少なくないと言い、現地では日本の血を引いた人に会うことも多々ある。

森林豊かで気候にも恵まれたバギオには、独自の文化が育ってきた。サガダをはじめとした独特なデザインの織物技術、木彫り工芸、コーヒー生産。土着の信仰を背景に受け継がれてきた技術や農作物が、市内中心部のマーケットを中心に流通している。

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パブリック・マーケットに圧倒される

高原に生きる「ハイランダー」たちにとって、マグセイセイ・アヴェニューに沿って広がる巨大な市場は、「パブリック・マーケット」と呼ばれ、その生活の中心に在る。地元の市民から観光客まで、あらゆるバックグラウンドを持つ人が集まり、その人間臭さとカオスに熱狂するのだ。

セブのマンゴーも、ミンダナオのコーヒー豆も、サガダの織物も、あらゆるプロダクトが国内外から流れ込み、マーケットの店頭に並ぶ。圧倒的な木彫り技術を持つ男はその一角に「アトリエ」を構え、販売店に卸す。精肉業者は、ビニールで客の視界を遮った空間で生きた鶏や魚を処理し、生肉を売る。中国から持ち込まれた衣類は、山積みにされて人だかりができる。

パブリック・マーケットはいつだって熱気に満ちて、私たちを惹きつける。生きるためにものを売る商人達やより良いものを求める客の、あまりにも人間らしい生臭さが、嗅覚を刺激するのである。

 

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ユース・カルチャーに溺れる

バギオのメインストリート「セッション・ロード」には、ハンバーガーチェーン「ジョリビー」やKFC、マクドナルド、モダンな「アーミー・ネイビー」、独創的なコンセプトを持つカフェ「Oh My Gulay」、そしてナイトライフを楽しむ若者が集まるバーやパブが多く並ぶ。スキニージーンズにシンプルなTシャツを着こなすスタイリッシュな彼ら/彼女らは、サンミゲルを片手に音楽を楽しみ、オープンなコミュニケーションに抵抗がない。英語を母語とする彼らは海外の最新のトピックスにも強いし、アメリカンなカルチャーの影響が強い地域であるがゆえ、バスケットボールやアメリカの洋楽に精通している。

繁華街を抜けたところには、ヒッピーな香りを漂わせるレストランで、「ラヴ・アンド・ピース」を歌うアーティストの演奏に人々が聴き入っていた。ハイランダーたちは、時にはシティ・カルチャーの喧騒から逃れ、大自然に目を向けて心を癒す。モダンなカルチャーとトラディショナルな空気が共存し、小さい街の中で入り混ざっていることは、バギオが持つ魅力のひとつだ。

 

ぶっきらぼうで一見愛想のないように見えてしまうハイランダーたちも、一度打ち解けてしまえば、サンミゲル・ビールを片手にいくらでも談笑できる。マーケットに並ぶ食べ物のヴィジュアルは正直イケていないが、一度口にすれば誰もが虜になるはず。マニラにもセブにもない、独特なバギオ・カルチャーが呼んでいる。

 

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